Koji's Classroom II

ボルチモア・オリオールズと上原浩治投手の応援ブログ。スポナビ+から引っ越してきました。

ショウォルター監督は、MLBのノムさんかも

きのうのエントリの最後でちらっと触れた、とある雑誌記事をめぐる話を――。

3月27日、対レッドソックスのオープン戦前に、オリオールズのバック・ショウォルター監督がレッドソックスフランコーナ監督に謝りの電話を入れるという一幕があった。

雑誌Men's Journal 4月号に掲載されたショウォルター監督のコメントに対して、フランコーナ監督が不快感を表明したからだ。そのショウォルター監督のコメントがこちら。

「チームの給与水準がタンパベイ並みでも、テオ・エプスタインは、敏腕ぶりを発揮できるのかね。大枚をはたいてカール・クロフォードを獲得するのが、敏腕の証明なのか? それだからわたしはあのチームをやっつけるのが好きなんだ。2億500万ドルのチームに言わせたら気持ちがいいじゃないか。“なんでうちがこいつらに負けるんだ”ってね」

フランコーナ監督は「自分のボスがあんなふうに言われたらだれだって気分が悪い」と文句を言い、これに対してショウォルター監督も「わたしでも(よその監督に言われたら)怒るだろうね。(自分の談話には)多少やっかみが入っていたかもしれない」とコメントした。

いや~、これってなんだか自分を月見草に喩え、巨人の「金満」ぶりを時に嗤い、時にやっかみ、常に自分を対極に置いて勝負を挑み続けてきた野村監督のようなコメントである。わたしは子どものころから巨人を応援してきたので、ノムさんの言葉は耳に痛くて、いつもちょっと胸に突き刺さるような気がしていたのだけど、その同じ図を反対から見ると「よく言ってくれた!」という気持ちしかわいてこない(笑)。痛快だわ~。でもってバック親分、ちゃんと謝りを入れて「テオのこともテリーのことも尊敬しているよ」なんて言いながら、相手をカリカリさせることによってちゃっかり勝利を収めている。オリオールズはこれまでヤンキースレッドソックスと同じ土俵で戦ってこなかった。完全に見おろされ(あるいは無視され)、試合する前から気持ちで負けていた。だからこうやって対等に扱われること自体が、チームの志気を高めることにつながるのだ。(masnのサイトを見たら、多くのファンも同じ意見だった。)

ところでこの〈メンズ・ジャーナル〉誌の"Is This Man Too Smart for Baseball?" というストーリーは、バック・ショウォルター論とでもいうべき、なかなかすぐれた記事だった。全訳は(版権上)できないので、ざっくりとまとめながら所々抜き出して紹介させていただきます。「 」でくくった部分が本文の抜き書き。

バック・ショウォルターは、呼ばれた先で常にチームを一から再建し、ヤンキースで94年に、レンジャーズでは04年に最優秀監督賞を受賞しながら、あまりの鋭敏さ、緻密さがあだとなって3度も更迭の憂き目に遭ってきた。そして育てたチームは別の監督の下でワールドシリーズへ進出――。しかし筆者は、TV画面の向こうに見る冷徹な指揮官とはまた別の、心の底から真摯に野球に向き合い続けるショウォルター監督の姿を描き出す。

ショウォルター監督は、才能を見きわめる名人だ。

「『1990年にショウォルターが、1Aか2Aでさほど期待されていなかった若手投手の成績を見せてくれたことがある』――〈ニューヨークポスト〉のコラムニスト、ジョエル・シャーマンはこう述懐する。『三振と四球の数を示して、“他の数字はどうでもいい、この選手はものになるぞ”って言うんだ。それがマリアーノ・リベラだった。その後2回トレードに出されそうになったが、ショウォルターが守り抜いた」

オリオールズに来てからは、若手投手一人一人に端的なアドバイスを送った。

「打たれはじめるとベンチをちらちら見るクセのあるブラッド・バーゲセンにはこう伝えた。『腹をくくって自分の球を信じろ。一度でもベンチを見たら交代だ、いいな?』。バーゲセンは5月以来勝ち星がなかったが、それ以後は5勝3敗、防御率も2点台をキープした」

ショウォルターは今でも夜中の1時2時まで試合のビデオを見返すという。ボールから離れたところで起きていることを見るために。たとえば、味方の打球が外野のフェアゾーンに飛んだとき、ベンチで伸び上がって行方を追っているのは誰か、チームの勝ち負けを本当に気にしているのは誰かを見きわめるために。

そんな緻密な采配、周到な準備を続けるショウォルター監督に、筆者は意地悪な問いを投げかける。

「『再建した3つのチームが、みな別の監督の下でワールドシリーズに行くのを見とどけた気分は?』

ショウォルターは答える。『 それがわたしの碑文に刻まれるなら、それでかまわない。ジョー・トーリヤンキースをさらなる高みへ導くのに最適な人物だった。後任の3人はみないい友人だ』」

でも筆者はまだしつこく食い下がる。

「『ボルチモアでもまた、あなたがいなくなってから勝つとしたら?』

するとショウォルターは言った。『もう、うぶな私ではないからね。それはニューヨークを去るときに捨てた。今でも思い出すと胸が痛むよ』」

 筆者はその95年を思い出す。ショウォルターはどん底ヤンキースを建てなおしてプレーオフに導いたが、第5戦、サヨナラ二塁打シアトル・マリナーズに敗れ、地区優勝を逃した。

「試合後、スタインブレナーが監督室に踏み込むと、ショウォルターは机に突っ伏し、両手に顔をうずめて泣いていた。スタインブレナーは何も言わずにひきさがり、ショウォルターはそのまま三十分泣きつづけた。これが人間の限界だ、とその涙は語っていた――やはり人間は、注ぎ込んだ労力の成果を見たいのだ。野球界で、これほど多くの労力を注ぎ込みながら、これほど見返りの少ない監督はショウォルターの他にない。となれば頂点を目ざす彼の最後の闘いに、幸運を願わない者はいないはずだ」

ノムさんに喩えるのはこじつけに過ぎないかもしれないけれど、慧眼、警句、いろどり豊かな表現、聞きとりにくいしゃべり方(笑)など、思いつく共通点はいくつかある。大きな違いは、野村監督は頂点を極めた経験があるけれど、ショウォルター監督にはまだないということ。でも1956年生まれでまだ54歳なのですよ。意外に若い! ぜひボルチモアで達成してほしいです。