Koji's Classroom II

ボルチモア・オリオールズと上原浩治投手の応援ブログ。スポナビ+から引っ越してきました。

RIP、アール・ウィーバー

1968-82年、1985-86年と、2期、合計17シーズンにわたってオリオールズを指揮し、リーグ優勝4回、ワールドシリーズ制覇1回、1,480勝、1,060敗という輝かしい成績を残した大監督、アール・ウィーバーが、現地時間の1月18日夜、心臓発作で亡くなったそうです。82歳。

.勝率5割8分3厘は、1960年以降に就任したメジャーリーグの監督のなかでは最高だとのこと。

にわかファンのわたしは、もちろんウィーバーの指揮する試合を見たことがなく、ただオリオールズのどんな思い出話もウィーバー抜きでは語られないのを見て、その存在の大きさだけは把握していました。3ランHRが、オリオールズまわりではしばしば「アール・ウィーバースペシャル」と呼ばれるのもそのひとつ。

昨年の6月30日にはカムデンヤーズに銅像も建てられました。

バック・ショウォルターが就任して以来、ウィーバーと似ているという評がよくきかれました。近年の、ヨーダのような、好々爺のイメージだとわかりにくいのですが、若いときの写真を見るとたしかによく似ています。

こんな感じ。もちろん他人ですから生き写しじゃないけど、笑い方とか、雰囲気とか、全体的な感じがとても似ています。

ショウォルターが敬意を表して「ミスター・ウィーバー」と呼ぼうとすると「アールでいい」と制したというウィーバー。昨年の春にもオリオールズフランチャイズ全体(マイナー含め)の監督、コーチ陣のためにセミナーを開いて、守備のシフトやランナーの牽制、中継プレーなどについて語ったそうです。「一日じゅう聴いていたいほどだった」とショウォルター監督は回想していました。生涯現役だったといってもいいのではないでしょうか。

そして昨年のオリオールズの15年ぶりのプレーオフ進出を見とどけ、バック・ショウォルターが2018年まで監督として契約したことも見とどけてバトンを渡し、ファンフェスティバルの前日に亡くなった……。オリオールズの巨星らしい、りっぱな最期だといえるでしょう。今日のファンフェスではウィーバー氏のユニフォームがかかげられ、黙祷がささげられたそうです。Rest in peace.

ところで、このファンフェスに先立つ昨日、オリオールズの2012年シーズンをまとめたDVD、"The BUCKle Up Birds: An Underdog Story"のプレミア試写会が開かれました。劇場で、監督、選手たちを招いて、こんな感じで行われたようです。このポスターもすてき。

こちらは、宣伝用トレーラー。かっこいいです。ぞくぞくきちゃう(笑)。なのでわたくしプレオーダーしちゃいました(*^-^*) きのう発送されたそうなので、今週中には届くかな。たのしみです。

その他の話題を。

◎年俸調停権のある選手たちのうち、マット・ウィーターズ、クリス・デイヴィス、ブライアン・マタス、トロイ・パットンとはそれぞれ1年契約で決着。ウィーターズは$500,000から一気に $5.5 millionにあがりました。10倍以上? さらにもろもろの出来高もつくようです。(ソース:サン)

一方、ジム・ジョンソンとジェイソン・ハメル、ダレン・オデイは、まだ合意にいたらず、各々希望金額を申請。でもおそらくは審問までいたらずに決着するものと思われます。細かい数字などはこちらに。

ツイッターでもアール・ウィーバーのエピソードがつぎつぎに紹介されています。そのひとつ。「ダブルヘッダーの両方の試合で退場になったことが3回」……って、どないやねん?(笑) 炎の指揮官だなあ。

【追記】

YouTubeからアール・ウィーバーの退場シーンを。なんでこんなに鮮明に音声が入ってるのか知りませんが、強烈です(笑) 今のアメリカでこんなに4-letter words を公衆の面前で連発したら大問題になりそう。審判がまるでかんしゃくもちの子どもをなだめる先生みたいになってる。観客の大喜びの反応も面白いです。退場は通算94回。試合が始まる前に退場になったこともあるらしい(ソース:USA TODAY)。どゆこと?w

かつての選手たちもウィーバーとの関係を「大変だった」と述懐。捕手のリック・デンプシーは叱られ役だったそうで、監督の投げさせたい球と投手の投げたい球が違って打たれると、ベンチでどなられるのはいつもデンプシーだったそうです。

エースで、のちに殿堂入りしたジム・パーマーは現役時代からアール・ウィーバーと不仲だったことで有名。互いに引退したあともさまざまな衝突があったそうな。でもパーマ-は、ウィーバーが、同じ投手の、当時まだ若かったマイク・フラナガンに対して、外野でトレーニング中だったパーマーを指さしながら「あいつのようにやれば大丈夫だ」と語ったことを後年フラナガンから伝え聞いて、心にあたためていたそうです。そのことを数年前、パーマーがウィーバーに話したら「おれはフラナガンだけじゃなく、みんなにそう話してた」と言われた……。その思い出を語りながら急に声をつまらせたジム・パーマー(動画)に思わずもらい泣きしてしまいました。(一昨年、マイク・フラナガンが自殺という悲劇的な死をとげたこともこの小さなエピソードをいっそう痛切なものにしています……。)